樵になって山で一人で暮らせればどんだけ人生良いかと子どもの頃に思ったことがあります。
しかし樵にはならず、なろうともせず、他者と関わり合いながら暮らしを営んでるということは、少なからず居心地の良さや、生きていく上での必要性を感じているからなのは明白であり、そもそも「木こり」になることに対してのその軽はずみの良いイメージは、「木こり=自由気ままで一人でいる」という、浅はかなイメージからくる現実逃避の一種であることも容易に伝わるでしょう。
多分ログハウスとかに住みながらただ山でのんびり薪でも割ってるイメージをキコリと勘違いしただけなんだと思います。
何の悪気もないと思いますよ。
では
また
ふじた