なんとなくタイトルをググッてみたら
ほぼ同名のエロアニメがあったが
大人はそんなこと気にしない
どうも山田です。
いろいろあっていい機会なので山田家の先祖について書こうと思う。
詳しい資料が手元にないので、記憶や伝聞に頼る部分があるので、
間違いがあったら後々修正する。その点だけ了承してもらいたい。
あー、ついでに長岡弁が混じったらごめんね。
Q 誰得?
A 俺得。そして新潟県は長岡市にお住まいの山田さん得です。
とりあえず山田家の元祖からはじめよう。
其の名も山田大膳である。確か西暦1600年前後の人だ。
ちなみにこの人の親父が縫殿亮重勝(ホウデンノスケシゲカツ)
という人物で、この人で既に18代目というから驚き。
山田でないのでノーカンとしたが、ご先祖様が下手したら1000年近く辿れる計算になってしまう。
まあ縫殿亮氏の段階で、名前と18代目ということしか判明していないのでこれ以上は苦しいが。
意外なまでに歴史ある名家だった山田家。
おらっちは呉服屋で独立した曽祖父からの家系なので正確には4代目なんだけどね。
いきなり脱線してしまった。
大膳についての話に戻そう。
現在でいう長岡駅からみての西側の山地に「小木の城」という城があった。
この城に関しては、山城とも単なる狼煙場とも聞いているので真相は調査が足りないところ。
山田大膳はここに勤めていたようだ。
大膳と小木の城の関係については、本家の人間が編集した本と親父の話が食い違っており何ともいえないのだが
・大膳は麓の吉水村(当時の名は確か草生水村)出身であり、当時北陸の支配者だった上杉家から小木の城を任されていた人に仕えた。
・大膳は京都からお越しなすった小木の城の殿様に老中としてついてきた。
の2説がある。というか聞いた。
前者が本家の資料で後者が親父の話だ。
前者の方が信憑性があるが、後者の方がロマン成分が強い、といったところか。
ついったーにて先祖京都説を先走ったのは
後者を先に聞いて、詳しく調べたら前者がめっかったという感じ。
すまんかったね。
おそらく正しいのは前者。京都云々は親父に詳しく聞きそびれてしまった。正月にでも聞こう。
大膳は大阪夏之陣にて戦死。
しかし息子が長岡に戻ってきた。
次男の山田安二郎。山田の本家はじまりはじまりである。
※長男も長岡に帰ってきていたのだが、分家して早400年、最近の調査でようやく
直系の親族であることが判明した程度であるため、次男の家系を本家としている。
実際の関係もそうなっているので問題ないだろう。
その後に安二郎は、かの「下山七百姓」のひとりとなる。
そのお話はまた後で。
山田
眠れないので今続きを書くことにする。
草生水村の名前からお分かりの通り、当時は長岡で石油が出た。
それで山田家は財を成していたわけだが、大膳が出征する際に石油のことは家来、っつーか番頭?に任せていたようだ。
まあいろいろあったのだろう。石油の採取はその番頭に任せ
(ちなみにその番頭も後に山田を名乗る)
長男は石油の売買を行い、次男は川西の開墾に従事することになる。
下山の開墾に仲間入りしたわけだ。集い集いて、彼らはよく協力し、よく土地を耕した。
彼らは下山七百姓と称され、現在も川西は彼らの子孫が多い。俺もそうらがけども。
しまった、オチがない。
ええい、戦後、現代編はまた今度
山田