young man blues

in diary

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地元にあるCDショップ、島津レコードが僕がライブしてる最中か始めた時間に、その長きに渡る歴史にひっそりと終止符を打った。のではないかと思う。
島津、島津という愛称で長岡の音楽キッズ達は日々通ったものだ。
というのは以前紹介したと思うが、今考えるとすごく悲しい。ハイラインレコードで長い青春を過ごした江戸っ子ならばこの気持ちはわかると思う。
僕ら長岡人には島津(新品)、夢屋(中古)、くらいしか無かったからね。そのころ新潟市にHMVはあったが、遠くて中高生にはなかなか行けやしない。
単純にその品揃えの少なさのおかげか迷うことなんてほとんどなかった。迷うことなく、スキッドロウ、ブラッククロウズを手にしてはレジに駆け込んだものだ。
島津は高校生なら誰でも入れる領域だったが、夢屋はちと敷居が高かった。
店内が変に狭く、見回しがきかないため、万引きを恐れる若干頭の薄い店長のおじさんが尋常じゃないくらいに目を光らせていた。夢屋ビギナーは大概その眼光に焦り、脇汗をかき、何も買わずにもう一生行かないか、わけのわからないものを一枚買い、家に帰って腹を立てるかのどっちかであった。まあ極たまに、ビギナーズラックでフーのライブアットリーズを格安で手に入れてた奴がいたが、あれはかなり悔しかった。
僕は夢屋によって昔の音楽を知ることが出来た。当時兄貴が東京からジザメリ、マイブラ、ライドなどのイケイケシューゲイザー音楽を片手に、『モッズとかロックンロールなんて誰にでも出来そうじゃん?だからオレあんまし好きじゃないんだよねえ、やっぱマイブラだよ、マ・イ・ブ・ラ!やっぱこれっしょ?これマストっしょ?』と都会と金髪に染まった奴の姿は正直ムカついたものだ。
それでも俺はモッズになりたかった。でも肩幅と身長が無かった故にジャケットは着こなせなかった、シャツもブカブカだった。モッズヘア、なんとなく名前の印象が良かった。
ちなみにその当時俺はフーもモッズだと思っていた。
キンクスは死ぬほど聴いた。ジャムはネオモッズなんて呼ばれてたもんで尚死ぬほど聴いた。
なんとなく名前を知っていた、クリムゾンの宮殿のアルバムを買った時は、『ついに来るとこまで来てしまった』と震えたものだった。なんせ夢屋の店内に注意書で
『この棚の中には中毒性のある音楽が置いてあります』
なんて書いてあるもんだから、俺もついに手出しちゃったな~みたいな気になって通学用カバンの中にひっそりと忍ばせ、家で小さいボリュームで恐る恐る聴いたものだ。
それがプログレとの出会い。
高校生の時にエモとも触れ合っている。山田真也((the)bedsDr)と知り合った頃、奴にブルービアードとナインデイズワンダーを借りていたのだ。ブルービアードは好きになった。なんだかリズムが変わってて、密かにスゴいなんて思ってたが、それが三拍子であることを知ったのはちょっと先の話。
とにかく夢屋は店を出た後は、かなり汗をかいていたのは確かで、その眼光に負けないようどれだけいいものを手に入れられるかが高校生の俺にはかなりの困難であった。
そんな二軒がもうないのは寂しいね。
この季節だからなのか、行動力が発揮される時期。春に向かっているのだな。
ではまた
関谷

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