空を見上げるか

in diary

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何かをしていなくては気が滅入ってしまうなあと思っていながらも全く気力の出ない日というのもあるもんだ。
「そういう時はそれに身を任せて布団の上で過ごせばいいじゃない」なんて誰かの声が聞こえそうだが一切そんな気持ちにならない。
したいことは沢山あるのに何故か身体が動かない。
ビタミン不足かなあと思ってレモンのジュースを飲んだら幾分かやる気が出てきたのも束の間、近くの公園で空を見上げ、「今何の役にもたってないなあ」と、がっかりし、途方にくれる。
「何をナーバスになってるんだ?」と言う問いの声も微かに聞こえるが、「お前にはわかるまい」とはね除けるのがオチだ。
「恋はいいぞ、恋は」と誰かが言った台詞を連呼してみては、それが安定剤になっていることに気づきその瞬間に効果は無くなる。
えもいわれぬ恐怖や不安を感じて、とりあえずタバコを吸う。
タバコは平静を司り、消えては着火し、消えては着火しを繰り返す。
「何も不安じゃない」その自信はどこから出てくるのだ。
確かにそう思っている時がよくある。
それはきっと何かの役に立っている瞬間。
役に立っているかどうかなんてわからないので、何かに従事している時だろう。
「役に立ちたい」という欲求は、えもいわれぬ不安や恐怖からの逃れからくるものなのか等と考えていると気が滅入って来る。
と同時に「役に立ちたい」という欲求は一生無くならないものだということに辿り着き、「役に立つ」という概念はこの世がある限り無くならないものだとも思い、少し安心する。
そんなことを考えていたらよし夜が来たと、鬼に金棒の面をしてコーヒーを飲む。
そんなことを考えブログにしたためる日は二度とご免である。失礼。
では
また
ふじた

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